概要
生前贈与は、相続税対策を計画的に進める上で極めて有効な手段の一つです。
例えば、法定相続人でない孫に現預金を贈与し、その資金で孫が保険料を払うという相続税対策があります。この場合、税率の高い金額の贈与でなければ、効果的に、相続財産を減らし、その財産を孫に移転することができます。
しかし、贈与者本人が高齢であるなどの理由から、その子などが代理人として贈与契約手続きを行うケースも少なくありません。このような代理人を通じた贈与は、手続きの形式に不備があると課税庁からその有効性を否認され、結果として贈与財産が相続財産として課税対象となる重大なリスクを内包しています。
令和4年3月2日裁決(広裁(諸)令3第5号)は、代理人による贈与契約の有効性が相続税の課税判断に直結した典型的なケースです。被相続人の孫らが契約者となる生命保険契約について、その保険料相当額の現金を被相続人が孫らに贈与するにあたり、被相続人の子が代理人として手続きを実行しました。
この贈与が有効であれば、保険料の負担者は孫らとなり、生命保険契約に関する権利は相続財産に該当しません。一方、贈与が無効とされれば、保険料負担者は被相続人となり、当該権利は、みなし相続財産(相法3①三)として相続税の課税対象となります。
この裁決において課税庁側は、贈与契約書に、被相続人の子が「被相続人の代理人」である旨の記載(顕名)がないため、代理行為として有効に成立していないと主張しました。結果的に、この裁決では、納税者が勝利しましたが、納税者は多大な時間と労力を費やしています。
このような紛争がないように、あらかじめ、紛争自体を未然に防ぐための予防策を講じておいた方が良いでしょう。
予防策
以下の予防策が考えられます。
(1)代理権の存在を証明する「明確な委任状」を作成する。
(2)顕名の要件を完全に満たした「形式を整えた契約書」を準備する。
(3)税務調査に備え、贈与者・代理人・受贈者間の「認識を統一」しておく。
(1)代理権の授与を明確にするための書面の整備
代理権授与の証明に関するリスクを完全に排除するため、最も効果的かつ基本的な対策は「代理権委任状」を作成することです。
これにより、代理権の存在が客観的な証拠として確立され、税務当局の第一の疑義を封じ込めることができます。委任状に盛り込むべき必須項目は以下の通りです。
- 委任者(本人)と受任者(代理人)の明記: 氏名、住所を正確に記載します。
- 委任する法律行為の範囲: 権限の範囲を具体的に記載します。(例:「私の所有する預貯金の管理および、それを原資とする親族への贈与に関する一切の権限」など)
- 委任状の作成年月日: 代理権がいつ授与されたかを明確にします。
- 委任者本人の署名・捺印: 必ず本人の意思で署名・捺印してもらいます(実印と印鑑証明書の添付が望ましい)。
(2)顕名の要件を完全に満たす贈与契約書の作成
顕名の不備という形式的なリスクを回避するため、贈与契約書の贈与者欄の記載方法を徹底することが不可欠です。税務調査官が一目見て代理行為であると理解できる、明確な記載を心がけてください。
記載例
| 贈与者(本人) 東京都豊島区池袋〇丁目一番一号 山田 太郎 ㊞ 上記代理人(受任者) 東京都港区区六本木〇丁目二番三号 山田 一郎 ㊞ |
このように、本人(贈与者)の氏名・住所・捺印に加え、「上記代理人」として代理人の氏名・住所・捺印を併記することで、誰が誰の代理として契約を締結したかが一目瞭然となります。
(3)関係者間の認識統一と調査対応シナリオの事前構築
関係者全員の認識を統一しておくべきです。
- 法的な意味合いの共有: なぜ「代理人による贈与」という形式をとるのか、その法的な意味と税務上の効果を、贈与者本人、代理人、受贈者の全員が正しく理解するように促します。
- 税務調査への備え: 将来、税務調査で質問された際に、事実関係(誰から、誰が、誰のために、という関係性)を全員が矛盾なく、一貫して説明できるよう準備しておきます。
令和4年3月2日裁決(広裁(諸)令3第5号)(全部取消し)
(1)事案の概要
本件の事案の概要は、次のとおりである。
① 法定相続人でない被相続人(以下「本件被相続人」という。)の孫ら8名(以下「本件孫等」という。)は、平成26年に、C社との間で、本件孫等を契約者及び被保険者とする各保険契約(本件各保険契約)を締結した。
② 本件各保険契約に係る各保険料(本件各保険料)の支払に先立ち、平成26年に、本件被相続人の法定相続人である子である審査請求人Aと本件孫等により、贈与者を本件被相続人、受贈者を本件孫等とする各贈与契約書(以下「本件各贈与契約書」という。)が作成された。
本件被相続人が健康上芳しくなかったことから、Aが被相続人を代理して本件孫等と贈与契約をした。
なお、本件各贈与契約書には、本件被相続人が、本件孫等各人に対し、各保険料(以下「本件各保険料」という。)に相当する現金(以下「本件各現金」という。)を贈与する旨記載されているが、Aが本件被相続人の代理人である旨の記載はない。
③ A及び同人の妻Cは、本件被相続人名義の普通預金口座から出金し、Cは、当該出金した現金により、本件各保険料を支払った。
贈与金額は5年間で1人当たり約800万円、合計6,600万円に上る。
④ 本件孫等は、本件被相続人から本件各現金の贈与を受けたとして、平成26年分から平成29年分までの贈与税の各申告書を法定申告期限内に提出した。
⑤ その後、本件被相続人が死亡をし、Aら共同相続人は法定申告期限までに共同で相続税の申告をした。
⑥ 原処分庁が、Aに代理権があったとは見られず本件各贈与契約は成立していないから、本件各保険料を負担したのは、本件被相続人であるとし、本件孫等を契約者とする各生命保険契約に関する権利は、本件被相続人から本件孫等が遺贈により取得したものとみなされる(相法3①三)として、相続開始時点の解約返戻金で評価され(評基通214)、相続税に係る各更正処分等を行った。
それに対し、Aらが、各生命保険契約に係る各保険料については、各生命保険契約の各契約者が、本件被相続人から贈与された現金により支払っていたものであり、本件被相続人が負担したものではないから、各生命保険契約に関する権利は遺贈により取得したものとみなされる財産に当たらないとして、各更正処分等の全部の取消しを求めた事案である。
(2)本件の主な争点
本件被相続人が本件各保険料を負担したか否かであり、Aが本件被相続人の代理として行った本件各贈与契約は有効に成立しているか否かである。
(3)裁決要旨(全部取消し)
① Aらは、本件被相続人は、Aに対し、自身の全ての財産について贈与手続をとるための代理権(本件代理権)を授与していたことを理由として、Aが本件被相続人の代理として行った本件各贈与契約は有効に成立しているため、本件被相続人が本件各保険料を負担したとは認められないと主張している。
これに対し、原処分庁は、(イ)本件被相続人がAに対し自身の全ての財産について贈与手続をとるための代理権を授与していたことを裏付ける客観的な証拠がないこと、(ロ)本件各贈与契約書に顕名がないことなどから、Aらが主張する代理権授与の事実を否定し本件各贈与契約は成立していないとした上で、本件各保険料は、本件被相続人名義の預貯金から出金された金員によって支払われているため、本件被相続人が本件各保険料を負担した旨主張している。
② 本件各贈与契約書には、本件被相続人の氏名等の記載はあるものの、Aが本件被相続人の代理人である旨の記載はない。しかし、本件被相続人所有の土地及び株式が、平成5年以降、贈与税の負担も考慮しながら、A及びその家族に対し贈与されていることや、本件孫等は、本件各贈与契約に関する手続をAが代理人として行っていたものと認識していたことからすると、顕名の観点からは、本件各贈与契約におけるAの代理行為が無効なものとは認められない。
③ 平成5年以降に行われた本件被相続人所有の土地及び株式の贈与について、本件被相続人が、当該贈与の取消しや異議を申し立てたといったような事実は見当たらないこと、贈与の対象財産を土地及び株式に限るとする証拠や事情は見当たらないことに加え、本件代理権が授与されていなかったことを示す具体的・客観的な証拠も見当たらないことを総合勘案すると、本件被相続人は、自身に帰属する全財産を相続人らやその子供らに対し贈与するという自らの意思に基づいて、Aに対し贈与に必要な手続を包括的に委任し、その委任に基づき、Aが、贈与税の負担も考慮しながら計画的に贈与を行ってきたものと考えるのが自然かつ合理的である。
④ 以上のとおり、顕名の観点から本件各贈与契約におけるAの代理行為は無効とはいえないことに加え、本件各贈与契約に至るまでの間の、本件被相続人からその親族に対する財産贈与の実情を併せて総合勘案すれば、本件被相続人からAに対し本件代理権の授与がなかったということはできない。
⑤ 本件被相続人からAに対し本件代理権の授与がなかったと認められないことからすると、本件各贈与契約が無権代理により無効であるとはいえず、また、原処分庁からは、顕名がないことのほかに、本件各贈与契約が無効であることについての客観的な証拠に基づく主張立証がなく、この点を根拠として、本件被相続人が本件各保険料を負担したとする原処分庁の主張には理由がないこととなる。
そうすると、本件被相続人が本件各保険料を負担したとは認められないことから、各保険契約に関する権利は、相続税法3条1項3号に規定する遺贈により取得したものとみなされる財産には該当しない。
